- 本プロジェクトでは、各ジャンルで「戦争」をテーマに問題提起的な創作活動を展開されている実作者・表現者の方々に連続インタビューを行っています。第2回目のインタビューでは、台湾におけるアジア太平洋戦争の戦争記憶を取り上げたドキュメンタリー映画『島から島へ』(2024)の監督・廖克發さんと、同作の歴史顧問を担当された藍適齊さんを東京にお招きし、お話をうかがいました。
- 映画『島から島へ』予告編:https://youtu.be/nXDeBrnuM_g?si=EzajMZR4HvZXciQ8
- 第三世代の戦争表現
- 誰を、いかに哀悼するのか
- 「島」としての広島

第三世代の戦争表現
――近年台湾では台湾空襲、シベリア抑留、BC級戦犯など第二次世界大戦の出来事を扱ったドラマや映画、ゲーム、文学が多く登場しています。それらは歴史研究の新たな成果を踏まえており、制作者の多くが戦争当事者の子や孫の世代、若い世代が製作にかかわっているのも特徴だと思います。南洋に出征した台湾人元日本兵について言えば、2023年に小説家・詩人陳千武の『猟女犯 台湾特別志願兵的回億』を原作としたミュージカル『熱帯天使』が上演され、その原作も再刊されました1。私もそのミュージカルを見て、その内容についてはいろいろ言いたいこともあるのですが(笑)、2024年には、台湾籍の日本軍捕虜監視員を描いたドラマ『聴海湧』(日本語タイトル『波の音色』)が公共テレビで放映され大きな話題となり、国立台湾歴史博物館でも関連企画展が開催されました2。このような社会的文脈や潮流について、監督、そして歴史監修という立場で、どのようにお考えになっているのか。本作はこうした流れの中でもやや違う点を持っていると思うので、お二人にお考えを聞かせていただきたいと思います。
廖克發: いまのご質問を受けて、藍先生がよく「痛みを見つめるとき、自分の痛みを直視することができなければ、他人を哀悼することもできない」と言われることを思い出しています。しかし、私にとってはその順番が問題です。また、その「痛み」をどこまで私が見つめればよいのかも問題です。
いま挙げていただいたのは、陳千武以外は新しい世代の人たちの作品です。直接の当事者ではない人間が上の世代の「痛み」について語るとき、とくに台湾籍旧日本兵の記憶については、とくに台湾と日本との関係でいかに政治的に利用されないようにするかはいつも考えます。また、この作品(『島から島へ』)にとって、「痛み」を考える上では戦後の白色テロは大事なポイントなので、その問題は落とさないようにしていました。さらに言えば、自分の「痛み」と他者の「痛み」について考えるとき、いまの台湾社会は、自分の「痛み」をまず直視しなければ、そもそも他人の「痛み」を見ようともしないところがあると思っています。私にとって「痛み」をいかに見てもらうかは、今でも重要な課題です。
陳千武の『猟女犯』という作品を読んだとき感じたことは、「痛みを抱えているひとこそ、実は言葉が出ない」ということです。この作品は実際に作者の陳千武が従軍した場所を舞台にしているわけですが、この作品には思想が分裂しているのではないか、と思えるところがある。例えば陳が地元民を見つめるとき、そこには相手のことを思いやる気持ちもあるのですが、それと同時に、自分は教育を受けたエリートなのだ、という感覚もある。つまり彼は、教育によって自分と相手とを差異化しようとするんですね。どちらが上でどちらが下か、というように。
作品の中では、地元の女性と性的な関係を結ぶシーンもあります。その女性の身体を欲する心情があり、その一方で関係を結んだあとには相手を差別するような意識が湧き出してくる。こういった描写は、当時東南アジアに従軍した兵士たちの気持ちや状況を、とてもリアルに表現しているのではないかと思っています。
――私は陳千武の作品が2023年にミュージカル化されたものを見たのですが、そうした作家の分裂した意識は薄められていました。また、日の丸や日本の軍服がすごくファッション化されて出てくることには違和感がありました。これは陳千武が生きていたら怒るんじゃないかと(笑)。
廖: 私は実は演劇化された作品は見ていません。出版された演劇の脚本を読んで、見る気がなくなったんです。しかし重要なのは、この本の最後にオーラル・ヒストリーの付録がついていて、そこにはインドネシアで軍医として人体実験にかかわったひとの記録が掲載されているんですね。もちろん台湾人の軍医です。こうしたオーラル・ヒストリーは監督の資料として見ているはずなのに、演劇の中に反映されていないのはどう理解したら良いのか、と私は思っています。
藍適齊: 廖監督は1979年生まれですね。『波の音色』の監督は1985年生まれで、製作にかかわった他の方々も1980年代以降の生まれです。これはあくまで私個人の感触なのですが、1980年代以降に生まれた台湾の創作者たちは、前の世代に比べると、比較的歴史教育のしがらみの影響が薄いのではないか。とくに第二次世界大戦のような歴史に関する題材は相当に複雑な要素があるのですが、教えられたイデオロギーが薄い世代の方が自由に創作が出来ていると思います。これらの表現者たちは、私自身もそうですが、いわゆる「三代目」です。戦争の時代を経験した当事者、あるいは「一代目」に対して、その次の私たちの親世代、すなわち「二代目」では、「一代目」の影響が大なり小なり出てしまうので、まだ冷静に歴史を見ることができない。ですが、「三代目」になると、自分のファミリー・ヒストリーに好奇心を持ちつつ、一方で距離感もあるので、より冷静に、当時はどうだったかを考えられるのではないか。
歴史の「痛み」を見つめるとき、自分の「痛み」と他人の「痛み」のどちらを先にするか、どこに重きを置くかはとても重要です。いま言及があった『波の音色』も、今回の『島から島へ』もそうなのですが、それぞれ自分にフォーカスしていく点があるんですね。自分の「痛み」を見つめてから他人の「痛み」を見つめる。あるいは、他人の「痛み」を見つめてから、自分自身をふり返って考え直す。こうした作品が重要なのは、「対話」する可能性を開いてくれるところにある。そこから新たな可能性が開かれていく、と私は思っています。
誰を、いかに哀悼するのか
――私の質問はおそらく映画の中心的なテーマに触れつつも、やや周縁的なものだと思いますが、いわゆる「親日派」についての問題です。映像で言うと、前半の50分過ぎあたりのところで、ヤン・フーチェンさんという方が日本語でインタビューに答えていますが、それが「親日派」の一つの姿かと思いました。他方で、マレーシアのペナンでヤン・ビンウェイ(サイモン)さんとお母さんが登場するシーンがあります。このお二人の話がとても印象的で、自分たちの祖父は「親日派」ではない、雇われただけだと言ってその問題を回避しようとしているように見えるし、しかしその一方でそのお母さんの方が、息子はすごく献血をするんだよなどと、まるで引き継いでしまった「悪い血」を入れ替えているというような意味合いで語っていたと思います。つまり一方で親日行為は自分たちとは関係ない、仕方がないことだと低く見積もろうとするのだけれど、他方で献血しているという発言から見えるのは、その問題を大きなものとして受け止めてもいます。この親子は、とてもつらい立場にいるのではないか、とも思いました。この映画のテーマとして、記憶の継承とか、いかに哀悼するか、「痛み」を「痛み」として受け入れていくかということがあると思うのですが、「親日派」という問題と記憶、または哀悼ということはどういう関係にあるのかについて、お考えをお聞かせいただければと思います。
廖: この映画にかかわって、「哀悼」という言葉を出していただき、ありがたいです。ドイツの話ですが、「哀悼不可能」という表現があるわけです。歴史の「痛み」に向き合うとき、ひとはまず知識、情報から入る。その次が哀悼、追悼である。「痛み」を共有することは決してすぐにできることではなく、一定の経験と訓練が必要なんです。
あるチェコの作家が、こんなことを言っていました。私たちがどんなイデオロギーを自分のものとするかという選択は、多くの場合個人的な利益と絡まりあっている、と。特に台湾社会の場合は、先にあるイデオロギーがあって、その後、それに都合のよいものばかりが集められ、それ以外のものが周縁化されていくという一面があるような気がしています。ヤン・フーチェンさんについて編集でカットしたのは、彼の敗戦後の体験です。彼は帝国の敗戦を「痛み」と捉える以上に自分の生存を考え、上官と組んで軍用船を盗み、それを売ることにした。戦後は中国で投資やビジネスを行っていて、中国にも頻繁に出入りをしていた。ですが、その商売がうまくいかなくなって台湾に戻り、そこで台湾独立派になっていきます。こうした人物の例から私が思ったのは、国のイデオロギーや大きな歴史、戦争の「痛み」といった問題を考える際に、当時の人々の生存にかかる選択の問題を無視できない、ということです。
サイモンの祖父は音楽家だったわけですが、彼の例でいうと、彼の祖父は現在「親日」とか「反日」などとラベルが貼られていますが、おそらく、戦前や戦争が勃発する前後の時代ではそうした意識はなかったのではないか。当時東南アジアに渡ったひとたちは、自分のことを「台湾人」とは表現しないんです3 。台湾語は福建語とも呼ぶので、福建から来たひとだと周囲から思われ、自分もおそらくそう思っていた。自分のことを「帝国の人間」だと考える発想はたぶんなかったと思うんですね。また、当時マレーにいた華僑の中には、蒋介石を支持するグループと、汪精衛を支持するグループがありました。その中で汪精衛を支持する華僑の話はあまり記録には残っていないし、話題にもなっていないのが現状です。
藍: この映画の中でサイモンの祖父のことを取り上げたことには目的があります。それは、現在私たちが見ている「親日」「反日」という分け方に対する疑問です。サイモンの祖父の例から示したかったのは、戦時下の現実の中で生きるためにひとはどう振る舞うのか、という問題です。
結論から言えば、戦時下の人々はみな自分たちが生きるために、様々な選択を行っていたと私は思っています。サイモンの祖父についての裁判の記録を見ると、日本軍がマレー半島に侵攻する以前のイギリス政権下でボランティア活動なども行っていて、イギリス政府を支持する立場だった。もちろん彼はのちに日本の憲兵に雇用され、自分が行った選択の中で他者を傷つけたのですが、こうした人たちのことをジャッジする前に私たちが考えなければならないのは、みなが自分の生活のためにそれぞれの選択を行っていたことは否定ができない、ということです。
実は、去年の金馬奨受賞式4 の時、このサイモンに台北に来てもらいました。そのとき彼は冗談を交えながら、廖監督のことを「とても残酷な人だ」と言いました。自分の祖父の審判記録、どういうふうに祖父がひとを傷つけたかが書かれた原文を読まされたことはとても残酷だったと言っていました。でも、サイモンの気持ちの中では、ほんとうは喜んでいたのではないか、と私は見ています。彼がドキュメンタリーに参加したことで、自分の祖父を見直す、考え直す機会につながったからです。いままで村の人たちの話でしか知らなかった自分の祖父のことをサイモンは再認識し、受け入れ、認めることができた。祖父という存在は確かにいたのだ、という事実を受け入れたことで、ようやく彼は「哀悼」ができたのではないか。
ジュディス・バトラーの『生のあやうさ』という本を皆さんもご存じと思います5 。バトラーは「哀悼され得ないひとは存在しない」という意味のことを言っています。その次の世代は、哀悼、追悼ができてはじめて、生きていたひとが実際に歴史に存在していたというその証しを、ようやく手に入れることができるのです。
――ありがとうございます。簡単に少しだけ応答をすると、おそらく台湾と映画のなかで登場する島々をめぐる複雑な国際情勢があって、その中で起こってくる出来事があるでしょうから、単に台湾対他の島々という関係に収まらない状況があるのだと思います。ですのでその中で複雑な国際情勢を適切に見ていく必要があるし、その中で生きた人をまずは認めていくというのが基礎的な作業としてあると思います。そのうえでそのような複雑さの中で「親日派」という言葉がいかに生まれてきたのかというプロセスも、しっかりと押さえていく必要があるなとお話を聞きながら思いました。そしてバトラーの話も非常に複雑な問題だと思いました。とりわけ被害者の存在はより見えなくなるので、見えなくなる方をいかに悼むかという問題がある。しかし今のお話からすると、加害者の方もその存在を認めた上でいかに悼むかという非常に複雑で、重要な指摘をしていただいたと思います。ありがとうございます。
「島」としての広島
――ズバリ、なぜ広島なのかも聞かせてください。映画の第2部に入ったとき、こういう展開で広島が出てくるというのがかなり意外というか、ちょっと驚きました。第五師団第一一連隊という、「泣く子も黙る」と言われたいろいろなことをやってきた連隊ですが、それを介して広島という「島」の問題ですね、戦後日本の戦争責任や植民地の責任の問題がぐっとクローズアップされて、それをどう引き受けてきたかが問われるようなひとたちも出てくるわけです。広島在住の私にとって身近な風景が、台湾や南洋の島々の視点から読み換えられていくというか、問い直されていく流れはじつに刺激的で、予想外の展開でもありました。このような展開は、「島から島へ」というタイトルの中の「島」に、どのようなイメージを込めようとしたのかとも関係すると考えます。台湾と東南アジアを結び、さらにそれをまた日本、広島とつなげていくという、その狙いを聞かせてください。
廖: まず広島を入れようとしたのは、やはり第五師団第一一連隊が、マレー半島の虐殺と直接かかわることをしたということが大きいです。「島」についてですが、私たちが歴史の問題について考えようとしたとき、ネーションという枠からなかなか出られない。ですが、ネーションやナショナル・ヒストリーという枠組みの語りに巻き込まれたくなかったので、意識的に「島」を使うことにしました。この作品では「島」をひとが生活する場という捉え方も含めて用いています。
台湾で第二次世界大戦のことを語る際、多くの方が台湾籍旧日本兵のことを連想します。ですが、戦争にはたくさんの複雑な要素があります。かかわった医者、文学者、文化人、商人。犠牲になった慰安婦の女性もいます。こうしたさまざまな要素があるにもかかわらず、台湾籍旧日本兵しか注目されないことに、私は違和感を覚えています。それに、当時志願した兵士の多くは社会的な中間層か、それ以下の貧しい階級が多い。もっと上の階層のひとはいったい何をしていたのか。この映画を見て不愉快に感じる観客も確実にいます。実際に日本軍の731部隊の実験にかかわった人たちの名簿を私たちは持っています。映画の中では扱わなかったですが、その中には、戦後にヒーロー的な扱いを受けた方もいました。
――いま質問があった島のイメージがとても印象的だったものですから、そのあたりについて簡単に話をしたいと思いますが、島から島にどんどん移動していくということが一方にあり、その過程で島々は日本の植民地政策のもと侵略され、それに覆われてしまったために同じような経験をするということがあったように思います。しかしそのもう一方で、表に出てこない多様な人々の姿勢があって、それが隠れているというか、うごめいているような、そういう印象も持ちました。つまり島は、帝国日本に覆われるとともに、実は切れてもいて、切れているところで見えにくいうごめきがあるということです。
それが先ほど質問した哀悼の困難さともかかわる気がしているのですが、これに関連して、紙芝居の場面が何回か出てきていて、これがとても印象的でした。というのも紙芝居というのは、見せる絵があって、それとは分離した見えない語り手がいて、といった仕組みで行われていく。見せる絵もすべてが描き込まれているわけではなく、見えないものが当然たくさんあるのであって、見えているものは限定的に表現されています。そして、語り手の側もすべてを語れるわけではない。つまり、絵と語りの両面で、ともに不十分さを抱えながら行われるのが紙芝居という装置でしょう。そう考えると、紙芝居という装置は、語りの限界を一方で示しながら、別の隠れているものを感じさせる、語られていないことを想像させる動機づけも与えるように思いました。映画の中での紙芝居の位置付けや、これを用いた理由について、お聞かせいただければと思います。
廖: おっしゃっていただいた通りだと思います。戦時下に時代を巻き戻すと、結局、ストーリーを語る権利を持っているのは「国家」です。私はそれを逆に利用して、個人のヒストリーを語る時に国家が握っていたメディアを私が手に入れ、それを使って個人のストーリーを語るという手法を考えていました。
哀悼し得ない存在がいるのは確かな事実です。この作品の中にペイナ(Peina)という人物が登場します。インドネシア在住の台湾人の家で子守りをしていたことで戦争中はオーストラリアに抑留され、戦後台湾に、そしてインドネシアに戻った人物です。ですが、この女性のことを私たちが哀悼しようと考えても、あまりにわかる情報が少ない。でも、そのわずかな情報でしか、いまは哀悼することができないのです。
藍: この映画での紙芝居の使い方はほんとうにうまい、と思っていました。歴史を知ろうとするとき、私たちはどうしても最初は「国」の単位で情報を与えられ、理解していくことになるのですが、今回の映画で紙芝居になったのは、ほとんど名前が知られていないひとたちです。そうしたひとたちの「生」の事実こそ、戦争のリアルを教えてくれるものだと私は思っています。
紙芝居と同時に登場する音楽、「音」にも注目していただきたいです。マレーシアに渡った台湾人音楽家(ヤン・シュームー)の話を紙芝居で表現する際、すごく綺麗なメロディーが流れています。編集段階で見せていただいたとき私が最初に涙が出たのはこのシーンでした。彼は戦犯だし、戦争のときに悪いこともした。現在の価値観で判断すれば、悪い人物でしょう。ですが、このひとが当時行っていた音楽活動とか、芸術活動の実際が紙芝居と音楽とで語られていて、そのことに私は涙を流した。それはある意味で、彼を哀悼できた、ということなのだと思います。そのような人物のことを追悼できたということに、紙芝居の効果や意味があったのではないかと思っています。
- 陳千武(1922-2012)は台湾の詩人・小説家。本名は陳武雄。1942年に「台湾特別志願兵」となり、1943年12月~1945年7月まで日本軍兵士として東ティモールに配属された。「猟女犯」は陳の従軍体験に取材した短篇小説で1976年に発表され、1984年刊行の小説集『猟女犯』(熱点文化公司)に収録された。2008年に洛西書院から日本語版が刊行されている(保坂登志子訳)。 ↩︎
- 国立台湾歴史博物館企画展「『波の音色』とその時代:第二次大戦下における台湾籍捕虜監視員」(2024年9月9日~2025年6月8日)。 ↩︎
- 『島から島へ』でヤン・シュームーの妻(サイモンの祖母)が書いた減刑請願書が紹介されるが、その中でヤンは Formosan Hokkien Chinese(台湾福建華人)と表現されている。 ↩︎
- 金馬奨(Golden Horse Awards)は台北で開催される中華圏を代表する映画賞。『島から島へ』は2024年に最優秀ドキュメンタリー賞を受賞した。 ↩︎
- ジュディス・バトラー(本橋哲也訳)『生のあやうさ 哀悼と暴力の政治学』(以文社、2007年) ↩︎
(その2につづく)