• このコーナーでは、本プロジェクトにかかわるイベントの記録、メンバーの研究エッセイを掲載していきます。最初の記事は、本プロジェクトRAの北﨑花那子さんによる、小林エリカさん個展「Yの一生 The Life of Y——ひとりの少女」鑑賞記です。

わたしたちの中の「わたし」を照らすーー小林エリカ「Yの一生 The Life of Y—ひとりの少女」鑑賞記 / 北﨑花那子 

 2025年5月2日、金曜日、雨。六本木駅から歩いて、少し迷って、小林エリカ「Yの一生 The Life of Y – ひとりの少女」の個展にたどり着いた。
 ギャラリーの入口横の壁には少女Yのポートレートが大きく展示されていて、ギャラリー内に入る前にはもう、Yの顔がはっきりと目に焼き付いていた。ギャラリーに立ち寄らなかったひとたちも、通りすがりに、このYの顔を見かけることがあったかもしれない。Yの視線が訴えかける範囲の広さと、こちらを見据える眼差しの強さにどきりとしながら、ギャラリーに足を踏み入れた。

 最も印象深かったのは、やはり新しくつくられた「桜」と題されたシリーズだ。振袖の裏地絹に桜を描いた作品群で、それぞれがいつの桜なのか、右下に年号が記してある。八重洲ビルヂングが竣工され、少女たちが生まれた1928年の桜。アジア太平洋戦争が始まり、戦争のさなかにあった1941年の桜。終戦の年である1945年の桜。戦後となる1981年の桜。そして、現在へと続く2024年の桜。5枚の桜の絵が、時を刻むように、「Y」の過ごした時間に寄り添うように提示されていた。
 年号を見ながら、『女の子たち風船爆弾をつくる』でも、桜と時間というモチーフは繰り返し用いられていたことを思い出す。作中の「春が来る、桜の花が咲いている」というフレーズは年号になっており、それを数えることで、今が何年なのかがわかるという仕掛けが存在した。この空間でも、過去の出来事と現在をつなぐ、人が生きた時間の表象を託す宛先として、桜が機能している。1928年の「桜」と2024年の「桜」が線対称に、入口・出口付近に配置されていることも、過去と現在とつなぐ役割を果たすためだろう。

上の作品には右下に「1928」、下の作品には同じく「2024」のキャプションが添えられていた。「1928」と「2024」はどちらも濃いピンク色で染められているが、枝の向きは対照的である。「2024」の桜が柔らかい色味であるのに対して、「1928」の桜は鮮やかな色味が目立ち、躍動感にあふれている。纏うように輪郭のまわりを染める白が印象的だ。「1928」が持っていた鮮やかな色は、「1941」「1945」を経て一度は淡くなった。「2024」では、ほのかにその鮮やかさが戻りつつあるように見える。


 着用者の生身の肌に触れてきたものである振袖の裏地絹という素材にあえて描き込む方法からは、少女たちの身体の生々しさと、たしかにそこに彼女たちがいたのだという実感が伝わってくる。布の色も、真白ではなく、肌色に近い。まぎれもない身体を意識してしまう。この振袖が触れたかもしれない彼女の身体が、どう生きたのか。「桜」は、そんな空想を見る側に思い起こさせる。

 5枚の「桜」の差異も興味深い。添えられたキャプションの数字は「1928」からはじまっている。この数字が、Yが生きた時間と重ねられているのは明らかだろう。1928年と2024年の「桜」は、比較的濃いピンク色を用いて鮮やかに染められているが、1941年と1945年、1981年の「桜」のピンク色は淡く、その背景に使われる白い絵の具のほうがより印象的だ。花ひとつひとつが無数の少女の表象でもあるとするならば、戦争の影が色濃い年代の桜から色鮮やかさが失われていることには意味があるように思えてならない。そこに素材がもつ身体のイメージが重なったとき、「桜」の表象の変遷に、固有名のない少女たちの、命や、生の輪郭があいまいになっていく様子が切り取られているようにも感じられる。
 それぞれの「桜」のキャンバスの大きさもの違いも意図的だろう。ひときわ大きな1945年の「桜」は、1945年という年がどれだけの意味を持っていたのかを想像させる。その傍ら、ひときわ小さなキャンバスで咲く1981年の「桜」も、強烈なメッセージを放っている。


 身体というキーワードを頭に入れて見渡せば、Yが描いた手の絵や、発表会の写真も、単なるYに連なる作品というだけにとどまらない意味を帯びてくる。手の絵の爪は、ほかならぬ桜色に塗られている。その手がピアノを弾き、和紙をコンニャク糊で張り合わせ、真っ赤に腫れて、動かなくなる。なぜここに手の絵が提示されているのか。鮮やかなピンクに染まったモザイクタイルやレリーフが、なぜこの色を纏っているのか。言葉を介さないままに、展示された作品たちは雄弁に語りかけてくる。



 ギャラリーに足を踏み入れた私たちは、最初にひとつの短歌を目にした。それは、「Yの一生 The Life of Y」(『文學界』2025年5月)の冒頭に記されている短歌だ。展示を見終えたとき、書くことも、この展示も、小林さんが語り表現する「すべ」のひとつなのだと感じた。 

「それ以外すべを知らずに手を合わすそれで言葉が通じるように/穂崎円」

小林エリカ「Yの一生 The Life of Y – ひとりの少女」
会期 2025年4月12日~5月31日
会場 Yutaka Kikutake Gallery
https://www.yutakakikutakegallery.com/ja/exhibitions/the-life-of-y/

(2025年7月3日公開)
(2025年7月11日修正)