このコーナーでは、本プロジェクトにかかわるイベントの記録、メンバーの研究エッセイを掲載しています。本記事は、副田賢二さんによる「千人針」という表象と記憶の可能性をめぐるエッセイの第一回です。
「千人針」という表象と記憶の可能性(1) ― アーカイブ化と身体性の狭間で / 副田賢二
小林エリカ『女の子たち風船爆弾をつくる』(二〇二四 文藝春秋)の「第一幕 昭和10年―」「支那事変」で、「わたし」は「劇場のニュース映画」で「わたしたちの飛行機」から投下される「爆弾」を眺め、「少女たち」は「東京宝塚劇場」で「軍国レビュウ」「南京爆撃隊十六景」の「爆撃」を「うっとり見つめる」。そして、その壁の「薫風 騎馬婦人群像図」の「少女たち一二人」を透して、「本物の南京の街」の「爆撃」の破壊と暴力の光景が湧き上がる。その「南京陥落」の「お祝い」の中、「女たち」は「千人針」を手に街頭に立つ。
三越の前では、女たちが千人針をやっていた。
女が白い布と針と赤い糸を手に、女たちの玉留めを集めている。
女が針と糸を差し出す。
その爪には薔薇色のエナメルが塗られていた。あるいは、その指先にはささくれがあった。
わたしは、針を、ひと目刺す。
それから指先で玉留めをつくる。
これを千人が繰り返すと、玉留めは千個になって、わたしたちの兵隊が身につければ鉄砲の弾を止められるという。
わたしたちは、わたしたちの兵隊になって、敵をやっつけたい。
わたしは、男だったらよかった。あるいは、わたしは、そんなことは考えない。
わたしが刺した目のとなりには、もうすでに幾つもの玉留めがあった。
ずらりと並ぶ小さな赤い玉留め。それは、女たちのひとりひとりが、その指先でひとつひとつ留めたものだった。
わたしは、女だからといって、決して無力なんかではないのだと、信じたかった。この存在は、無意味なんかではないと、思いたかった。
「ニュース映画」や「軍国レビュウ」では、現実の爆撃下の地上、その生々しい破壊と死は決して可視化されない。スクリーンや舞台上の〈前線〉に、「わたし/わたしたち」の身体が交錯することはない。本土空襲でその生活空間と身体が破砕される状況が訪れるまで、日常は淡々と流れてゆく。だが、そこで同じく日常として行われていた千人針の場で、「わたし/わたしたち」は、「少女」的フェミニニティのフレームの外部に触れる。様々な「女たち」が縫った「ずらりと並ぶ小さな赤い玉留め」の感触のうちに、彼女たちは〈銃後〉の共同性と〈前線〉との同一化をかすかに感受する。そこで「わたし/わたしたち」は「同情を、共感を、哀れみを、誇りを、もって」その「布」と「女」の顔を感受し、自らの「女/子」としての自意識とジェンダー、社会的有用性の狭間の揺らぎと閉塞に直面する。この描写で、「針と糸を差し出す」「女」の指は「薔薇色のエナメル/ささくれ」を纏っている。前者は華美で非実用的だが魅惑的なモダンガール的な、後者は質素で生活的な良妻賢母的なフェミニニティの表徴であろうが、ここで「千人針」が、単なる制度化された翼賛的行為ではなく、〈銃後〉の女性ジェンダーの内部の亀裂を内包した「ひとりひとり」の行為であると強調されていることは重要だ。「ずらりと並ぶ小さな赤い玉留め」に「針を、ひと目刺」し「指先で玉留めをつくる」ことで、「わたし/わたしたち」は、自らを匿名的に共同化すると同時に、それを乞うた「女の顔」を凝視することになる。その空間は、「ひとりひとり」であることと、〈銃後〉の「女/子」であることの狭間に「女たち」を否応なく引き込む場なのだ。明治後期からその迷信性を批判され、民間習俗として民俗学的に考察されることもあった千人針の社会的位置付けは、一九三一年以降ある程度固定したが、本質的にそれは「労働/慰問/祈願/信仰」の狭間を浮遊する、流動性、冗長性を孕んだアモルフな行為である。
また、表象としての「千人針」は、布と糸、硬貨から成る〈モノ〉を描くものであるとともに、街頭で行われるその一連の懇願と応答の行為自体でもある。その会話と交流、布の感触と糸の縫い込みは、〈前線〉に出征する、そしてそこにはいない男性身体を想起させる、身体性と想像力の場でもあった。また「千人針」は、街頭に集う女性たちの「群像図」でもある。小林のテクストで、先の千人針描写の直前に「薫風 騎馬婦人群像図」の壁画が記述されることは偶然ではない。千人針の光景は〈銃後〉の典型的表象として、雑誌や新聞の掲載写真、絵画として大量に消費された。戦時下の〈銃後〉都市空間を構成するデザインとして、それは不可欠のエレメントであった。さらに小説や詩、歌謡や短歌、俳句でも、「千人針」は想像力と欲望の場として、記憶の装置として、多様に描き出されることになった。
現在千人針は、戦時下の戦争・生活資料として公的に認知され、多くの博物館や歴史資料館で展示されている。ガラスケースに展示されるそれらの実物は驚くほど多様で、形態も一定ではない。それらは〝千人針〟という統一的名称で括るのが躊躇される〈モノ〉の連なりであり、意味と欲望の痕跡の場だ。ただ、そのような千人針のアーカイブ化は、それが本来存在したコンテクストや個々の身体性から切り離して、それを「戦争の展示物」として意味的に同定してしまうことでもある。戦争資料としてのアーカイブ化と、女性ジェンダーをめぐる歴史的で生々しい身体性の狭間に浮遊している千人針/「千人針」は、ポスト冷戦期を経て戦後八〇年を迎えた現在、新たな思考と想像力の可能性を生む契機となるだろう。全四回を予定するこのエッセイにおいて、その研究の可能性を模索してゆきたい。
(続く:連載第2回目はこちらから)