このコーナーでは、本プロジェクトにかかわるイベントの記録、メンバーの研究エッセイを掲載しています。本記事は、副田賢二さんによる「千人針」という表象と記憶の可能性をめぐるエッセイの第二回です。(連載第一回はこちらからご覧ください。)
「千人針」という表象と記憶の可能性(2)—その情動性と「縫うこと/編むこと」の力 / 副田賢二
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現在では、戦時下の全体主義体制への国民(特に女性ジェンダー)の参与行為として位置付けられている千人針だが、その歴史的展開を見ると、そのような相貌は決して普遍的ではない。既に日清戦争期から千人針に似た弾丸除け御守はあったとされるが、それが大規模に一般化したのは日露戦争期だった。「日露戦争開戦時に大阪から始まり、遅れて東京にも流行してきた」(渡邉一弘「千人針研究に向けての整理」二〇〇八)らしく、呼称も〝千人結〟〝千人縫〟と固定していない。櫻井忠温『銃後』(一九一三 丁未出版社)にも「千人結び」の流行が描かれているが、兵士たちがその弾除けの効力を疑い棄てているとの描写もあり、戦場のリアリズムの中ではその呪術性が忌避、相対化される場合もあったことが窺える。
ただ、〈銃後〉では、千人針は次第に表象として規範化、制度化されてゆく。一九〇五年頃に初演、〇八年に舞台化された早川貞水「教育講談 愛国心 千人針」が『早川貞水師講演 教育講談 愛国心 千人針』(一九一五 大江書房)として刊行されて以降〝千人針〟の名称が定着してゆく。日露戦争をめぐる教育的な軍国美談の中で定着した「千人針」は、一九三一年九月の満洲事変勃発以降、現実の慣習として全国的に流行する。そこで千人針作成のため多数の女性の関与が必要となり、女学生も集団的に動員されることになった。
また、寺田寅彦「千人針」(『セルパン』一九三二・四)や江馬務「千人針の由来」(『風俗研究』一九三七・八)など、民俗的慣習として千人針という現象が学問的に対象化される機会も増え、大衆文化の表象としても広く消費されてゆく。そこで「千人針」は、〈前線/銃後〉の関係における祝祭的情動を担う表象となっていった。一九三七年の「北支事変」勃発以降、その祝祭的情動は再浮上し、メディアミックスの中で「千人針」表象が多様に消費されてゆく。戦記や軍国美談、戦争小説に留まらず、メロドラマ的物語や宗教系出版物、少年・少女向け読物、そして朝鮮半島を主とした同化政策の実例としても、頻繁に表象された。
また、「千人針」表象は、その「街頭風景」としての視覚的側面が強いためか、定型性やリズムを内包した韻文的表現との親和性が高いことが注目される。詩や短歌、俳句において「千人針」は頻繁に取り込まれ、映画・歌謡・レコードのコンテンツの題材としても頻用される。一九三九年以降の日中戦争の戦局膠着から太平洋戦争開戦までの時期には、メロドラマ的なコンテンツの内部で「千人針」の身体性が、〈前線/銃後〉の空間的・時間的距離と社会的規範を越える情動的〈物語〉において頻繁に焦点化されることになる。
そのような生活文化史・表象史上のあり方を踏まえると、千人針/「千人針」が昭和戦時下の総力戦体制下で〈銃後〉の翼賛的行為/表象として機能していたことは明らかだ。ただ、千人針は、「国民防空」や軍需産業への民間からの動員、物資供出や国防献金、そして「慰問袋」作成とも質の異なる参与行為であり、そこにはジェンダーと世代、公的なものと私的なもの、そしてその共同性とコミュニケーションをめぐる複雑な問題が内包されている。
そこで重要になるのが、「縫うこと/編むこと」をめぐる文化史的コンテクストだ。千人針は基本的に一人一目のみを刺す(寅年の女性は年齢の数)もので、膨大な編み動作の反復と蓄積が生む「編み物」よりもはるかに単純なものだが、不特定多数の女性ジェンダーの行為性をその個別性において「編み込む」ものだ。特に、当時「編み物」を母や祖母、年長の女性から修得すべきとされていた存在であった「少女」たちが、半ば公共的・社会的行為としてそこに参加し、その行為の様態を見られる/描かれるという状況が生み出されていた。小林エリカ『女の子たち風船爆弾をつくる』が正確に描き出したように、千人針の現場では、〈前線/銃後〉のみならず、フェミニニティをめぐる意識と身体の多様な交錯が起きていた。
よって千人針は、女性ジェンダーにおける「生産」のコンテクストにおいても興味深い場となる。「編み物」は、女性ジェンダー化された様々な行為の中でも、「料理」とともに、特に生産的で実用的な生活行為とされてきた。それは、社会的に周縁化された女性たちが主体的に生み出す重要な行為としてリアリティを保ち続け、時に呪術性を帯び、時に支配的な社会構造への抵抗の契機となり、フェミニズム的な訴求行為ともなった。そこで「編み物」は、闘争的フェミニズムとは異なる相貌を抱えつつ、密やかでラディカルな抵抗の手段として歴史的に継承されてきた。「個人のスキルと創造性の表現、自由意志の行使の証明」であり「中立的な存在」(ロレッタ・ナポリオーニ『編むことは力』二〇二四 岩波書店 原著二〇二〇)としてのその本質は、行為としての千人針にも、表象としての「千人針」のあり方にも深い影響を与えている。勿論、戦時下の千人針が出征兵士を鼓舞し〈前線〉を慰問する、全体主義、総動員体制への参与行為であったのは確かだが、その視点からのみ現実の千人針やその表象を一元化してしまうと、戦時下表象空間の錯綜した構造が覆い隠されてしまう。
そこで重要になるのが、「隠れたメッセージシステム」(『編むことは力』)としての「編み物」の側面だ。それは〈モノ〉としての千人針にも、濃厚に備わっている。そこに編み込まれる、死線・苦戦を越える縁起物としての硬貨、赤い糸や玉留めや髪の毛、虎や文字の刺繍や印字、弾丸除けのサムハラ信仰とその文字など、〈モノ〉としての千人針を装飾する記号は複雑に絡み合い、その表象空間を複合的に構成している。そして見逃せないのが、そのセクシュアリティをめぐる側面だ。一九三八年七月一九日付『大阪毎日新聞』には「千人針の中には 必ず女の毛髪を」との記事が掲載されている。そこでは「軍医江原博士」が「戦線から新提唱」した、「科学的にも証明される」弾丸除けの効果を女性の毛髪が持つと主張されているのだが、この言説の背後には、〈前線〉におけるセクシュアリティの領有、消費という側面があるだろう。そして、その「御守り」としてのあり方が拡張されると、「千人針」はより性的な要素を帯びる。そこに編み込む人毛としては女性の「性毛」が最適であるといった類の言説も、大衆文化としての千人針をめぐる言説に付き纏う。〈前線〉で戦う「皇軍」の禁欲的で純粋で「至誠」な(勿論現実は大きく異なっていたが)男性兵士の身体に巻かれる千人針という〈モノ〉には、密やかで濃密な〈前線/銃後〉の相互的インターコースの欲望が凝縮されているのだ。そのような輻輳性、冗長性を孕む千人針の微細なあり方を、次回では、一九三七年以降の文学テクストや出版メディアの言説の中から見出してゆきたい。
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