このコーナーでは、本プロジェクトにかかわるイベントの記録、メンバーの研究エッセイを掲載しています。本記事は、副田賢二さんによる「千人針」という表象と記憶の可能性をめぐるエッセイの第三回です。

「千人針」という表象と記憶の可能性(3) ― 文学テクストにおけるノイズとしての「千人針」/ 副田賢二

 「千人針」は、メロドラマ的想像力の表象として展開されると同時に、〈前線〉のリアリズムの内部にも侵入し、様々な作用をもたらした。火野葦平「土と兵隊」(『文藝春秋』1938.11)では、「兵隊の身を案じる尊いまごころが溢れ」た千人針を嘲笑する「橘伍長」が、「自分の胴には誰よりも大切さうに」「千人針を巻きつけて居つた」こと、それを海中に落とし、泳げない彼が飛び込んでしまった挿話の後、「私も静かに自分の胴に手をやつて、千人針を押へ、妙に胸のうちが熱くなつて来るのを禁ずることが出来なかつた」「我々はこの頃ではかういふ単純極まる感傷を美しいと思ふやうになつて来た」と語られる。戦地に向かう船上という過渡的状況で、〈物語〉としての「千人針」が意識化されてゆく光景が描かれている。

 ただ、「軍国美談」的〈物語〉のフレームである一方で、「千人針」は、女性身体の主体的関与(街頭での声かけと縫うこと)を前提とするその特性ゆえに、多様な情動を拡張させる場にもなった。戦時下の情動的メロドラマの担い手であった大庭さち子の「妻と戦争」(『サンデー毎日』1939.10.1)では、夫「健三」の命を救った「千人針」が、「ゆきずりの女」との偶発的な〈縫うこと〉であるというその本質ゆえに、「健三」の「不貞」(としての男性性)までもを免罪してしまう光景が描かれる。そこでの「千人針」は〈前線〉=男性性の放縦さを擁護し、〈銃後〉の女性性を超越的に「母性」化するためのメタファーであった。「花開くグライダー」(『大衆文芸』1941.10)では、死別した夫に渡す「マツト」を一心に縫う「脳病院」「特別室」の「女患者」が、臨終の際に看護する「波惠」にこう語る。

「これはあんたに差上げたいの。どうぞこのあとをあんたの髪の毛でさして頂戴」
胸にかけてゐたマツトを、あたしの手に残し、その女は狂つた生涯の最後の一瞬に、正常に戻つて、静かに息をひきとりました。
そのマツトを手にとつて、あたしはまた新たな感慨が胸に湧き起るのでした。三色のだんだら染の上に、黒い牡丹の蕾が黒髪で刺繍されてゐます。

「千人針」の情動的メタモルフォーゼであろうこの「マツト」は、その贈り主の「狂気」ゆえに現実的な目的性を逸脱、反転し、「波惠」の身体と融合する。それは、同じく「狂気」を抱えた男性「平松」によって病院内で造られ初飛行する「グライダー」の座席に敷かれ、〈銃後〉から〈前線〉へと拡張する想像力を空間化させることになるのだ。

 そこでの「千人針」には、「尊いまごころ」という感情的側面と共に、女性身体において〈前線/銃後〉を情動的に縫い取る「手芸」としての行為的側面が浮上している。そもそも千人針は、皇后を頂点とした女性ジェンダーの規範化において最も「純粋」に生成される物質としての「絹」と深く結び付いていた。山崎明子は『近代日本の「手芸」とジェンダー』(2005 世織書房)第2章で、「ジェンダー象徴体系にもとづき、すべての女性を必要に応じて統御していくためのモデル」としての「皇后の養蚕」が生む「絹」と「手芸」のコンテクストを詳細に論じているが、千人針が、そこで規範化された「手芸」的行為として模倣的に反復されたことは確かであろう。ただ、同時に〈モノ〉としての千人針は、兵士の身体を侵食する「虱」と、その身体が分泌する汗と垢、血に塗れる「解れ」の場でもあった。 

第一線にある将士達は、汗に濡れ、泥にまみれて想像も出来ぬ苦労を幾日も重ねるのですからいつか殆ど例外なしに虱に悩まされるのです。(中略)工合の悪いことには折角心をこめて送つた千人針の長い糸や結び目が、この憎むべき虱の巣窟となるのです。(中略)そこで千人針が改良を加へられて、現在のやうに糸を垂れぬやうになつて来たわけです。…が、皆さんに将士を護り、励ます熱意があるならば、ここでもう一と工風して貰ひたいのです。晒の千人針が出来上がったならば、更にこれを人絹のやうなサラリとした布で包むのです。(「千人針の腹巻きにもう一工風を」 『讀賣新聞』 1937.8.23)

「千人針の腹巻に もう一と工風を」(『讀賣新聞』1937.8.23)

 このような「解れ」を孕む「千人針」の形態は、規範化された国民意識と統御された身体のフレームのみには還元できないノイズとして、様々な文学テクストに刻まれている。先述した大庭のテクストはそのノイズのリアリティを活用したメロドラマであったが、それとは全く異質な「少女小説」的テクストにおいても「千人針」は想像力の起動点になった。女学生時の「夢のおもひで」をめぐる詩と回想を綴った鈴木かをる『乙女の夢』(1939 乙女の会)では、「晴夫兄様」に贈る千人針を縫う女学生「私」の内面がこのように記述される。

さうだつた。この千人針は晴夫兄様にお送りしなくては、糸を歯で切るのが辛いなんて、云つてる場合ぢあない。男の子ならば今頃は教練をやるのに、と思ふと残念だけど、女学生には女学生としての道があつたのだ! この千人針をしつかりお腹に、いだいて、み国のたてとなるべく勇敢に戦つて下さる様にお願ひしよう。
 『兄様、小さくとも私達はいづこの果てまでもみ国を守る兄様のお供をして、戦線をかけ廻ります。(中略)このお守りは私達の魂です。決して離れない魂です。(中略)』
 こんな手紙を認めて送らうと考へながら、ふと針を置いて後を向くと、夢中だつた耳に「雪の進軍」は遠い満洲からでも聞こえて来るかの様に小さいながら鋭くひゞいて来た。

焼かぬ乾物に半煮え飯に

なまじ生命のあるその中は

耐へ切れない寒さの焚火

煙い筈だよ生木が燻る

渋い顔して功名談

すいと云ふのは梅干一つ

着のみ着のまゝ気楽なふしど

背嚢枕に外套かぶりや

背なの温みで雪とけかゝる

夜具の黍がらシツポリぬれて

結びかねたる露営のゆめを

月は冷たく顔のぞきこむ

鈴木かをる『乙女の夢』(1939 乙女の会)

 ここで注目されるのは、千人針という行為が〈前線〉からの「声」を生成し、そこで〈前線〉の男性身体が抱える生命的湿潤感が対象化されていることだ。千人針を媒体に『雪の進軍』(1895 永井建子作詞作曲)が孕む日清戦争の〈前線〉が幻聴的に召還され、「私」の夢想の内部で再生される。「千人針」の歴史的記憶はそこで情動化され、「乙女の夢」のファンタジー空間は、〈前線/銃後〉を越境して拡張する。〈銃後〉の「私」は、「千人針」を介して、戦地での冷たく湿った衣服と僅かな「温み」を内包した男性身体、それを覆う「布」的物質としての「外套」と「夜具の黍がら」の感触を幻覚的に感受するのだ。

 さらに、女性ジェンダー作家の「千人針」表象として、円地文子「てるてる坊主」(『南支の女』〔1943 古明地書店〕所収)の描写に注目したい。夫に死別した「私」が、夫と共に結核で入院していた「杉氏」と街頭で出会い、死について語り合い別れた後、「死神に憑かれてゐたのかしら」と「私」は自問する中、新宿駅前で千人針を見かける。

そこを通る時は殆ど習慣のやうに立止るので、その時も私は、色のわるい、ばさばさ乾いた髪の毛の女の子が持つてゐるスフの切れを取上げた。まだやつ九つぐらゐにしか見えない女の子が暮れきつた街に立つて針を乞ふ姿が可憐な情をそそるので、
 ―どなたが行くの?
 ―と針に絲を巻きつけながらきいた。
 ―兄さん? お父さん?
 ―ううむ、よその人(中略)
 ―ぢや近所のおぢさん?
 ―ううむ、知らない人なんだけど、母さんが頼まれて来たの。
 ―さう……
 私は一針縫つた針を次の赤いしるしのところへ刺して置いて女の子の側を離れた。これも夕刊売つたり花を売つたりするのと同じ子供の生業の一つなのかもしれぬ。千人針はかうして出来上るのだ。出征してゆく人の顔をみた事もない子供が頼まれて町に立つてゐても、それを取上げて縫つてゆく人の真情には変りはない。それにしても、かういふ千人針を肌につけて出征するのはどんな環境の人だらう。私は妻も子も親族も恋人もなく、親しい友達さへ持たない寒々した男の生活を心に描いてみた。下宿の女主人か何かがそれでも親切にその男の為に千人針を用意してやらねばと思ふ、それがあの女の子の母親の手に渡つた。彼は青白い手で髪の毛をもしやもしやかきまわしながら、曖昧な微笑を泛べて、歓呼の聲の中を鹿島立ちしてゆく。うまく死なせてくれればいいが……と彼は思ふ。
 私はまだ杉氏の幽霊に憑かれてゐる自分に気づいて苦笑ひした。

 日常化した「千人針」の空間に這入り込んだ「私」は、それを贈られる、固有名を持たない〈前線〉の「男」の「寒々とした」生活と身体を夢想し、そこにいないその「男」が抱える、〈前線〉での望ましい「死」への欲動までを思い描く。そこで「千人針」は、制度化された感情の装置であると共に、〈銃後〉で放恣に拡張する情動の磁場でもあったのだ。

(連載第1回はこちらから、第2回はこちらからご覧ください。)